もう昨年のこと、知らない土地を自転車で走ってみたいと思い立ち、群馬県の赤城を目指しました。
ブロンプトンを畳んで車両に持ち込み、電車に揺られること数時間、赤城駅に到着。
駅周辺は栄えてはいませんが、車通りはなかなかあります。この地域の主要な都市まで続いているのでしょうか。そんなことを考えながら、ブロンプトンを組み立て、早速出発。今回目指すのは、岩宿遺跡の発見者・相沢忠洋をテーマにした「相沢忠洋記念館」です。
なぜ、「相沢忠洋記念館」なのか。以前、「岩宿の発見」を読んで、リアル「マスターキートン」のような相沢忠洋の生きざまに感銘を受けたこともありますが、記念館には相沢忠洋が勉強のために東京へ出かけるときに使っていた自転車が展示されていて、これを一目見たいと思い立ったから。相沢忠洋は、赤城から東京の片道120kmを1日で往復していたといいます。しかも、舗装されていない荒れた路面を、ロードバイクでもない重い自転車で。凄すぎます。
駅周辺を離れると、すぐに上り坂。チェーンリングを44Tに変更しているとはいえ、坂道がきつい。。。自転車を降り、おとなしく自転車を押しながら坂道を上ります。
登り切ったところで再びサドルにまたがり、しばらくペダルをこぎます。軽く汗をかいたところで、相沢忠洋記念館の看板が現れました。
うっそうとした森林の中。
駐車場から3分くらい歩いて到着。
誰もいない。ゆっくりと見学できそうです。
扉を開けて入ってみると、やはり誰もいない。例の自転車もチラリと見えます。
貸し切り状態!
だがしかし、管理人の姿も見えないw
大声で呼んでも誰も出てこない。。。
どうやら留守のようです。
運が悪いw
管理人が戻ってくるのを待ってもよかったのですが、いつでも来られるし、少し離れた所に岩宿遺跡もあるし、また今度でいいやと諦めることにしました。
自転車を置いてある駐車場に戻ります。
上ってきた坂道を下り、赤城駅をとおり越し、岩宿遺跡へ向かいます。途中、高崎ホルモンを食べてエネルギーを補給。1時間半くらいかけてのんびりサイクリングして目的地に到着しました。
相沢忠洋の銅像。
台座に埋め込まれているプレートには、相沢忠洋の功績が刻まれています。
岩宿遺跡のすぐ近くには「岩宿ドーム」なるものがあります。入場無料なので見学してみました。岩宿遺跡の地層区分と石器の出土位置を確認できる展示(記憶が曖昧ですが、恐らくこんな展示だったと。。。)など、10分もあれば見られるようなボリュームでしたが、ほんの少しだけ、歴史ロマンを感じることができました。
最後に、相沢忠洋の功績について記しておきます。
[box class=”yellow_box” title=”相沢忠洋の功績”]
1946年(昭21)秋、地元の考古学研究者である相沢忠洋は、この地で初めて赤土の中から石器を発見しました。
関東ローム層と呼ばれる赤土は、およそ1万年前より古い時代の火山の噴火によって堆積した火山灰で、その頃の日本列島は火山活動が激しく人間が住める環境ではなかったと多くの研究者は考えていました。
しかし、1949年9月11日、相沢氏の3年間の研究成果を基に明治大学考古学研究室の発掘調査が行われ、関東ローム層の中から多数の石器が発見されたことから、日本列島にも旧石器時代段階の文化が存在したことが明らかとなり、日本の歴史が世界史的なレベルで位置づけられるようになりました。(『史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設 資料』より)。
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閑話休題。
実は、今年の4月、今度は輪行ではなく自走で「相沢忠洋記念館」を訪ねました。
ですが、その時も誰もいなくてリベンジならずw
見学のハードルが高すぎます。
これにこりず、また、時期をあらためてリベンジしようと考えています。
遠方からお越しの方は、電話で確認してから行かれることをお勧めします。